北海道から沖縄まで、東京・大阪以外の全国37社の民放AMラジオのローカル局が加盟し、共同で番組制作に取り組んでいる団体、それが「火曜会(地方民間放送共同制作協議会)」です。
専任事務局を置くものの運営は、加盟各社東京支社の担当者が分担して行います。担当者といっても、制作・報道・編成・営業・業務と、その職種は実にさまざまです。それぞれの日常業務の合間をぬって、番組の企画立案から制作、編成、営業、各部会の収支決算まで、番組に関わるすべての責任を分担し、運営していくわけです。
地方の民放AM局が一堂に会して番組を企画、制作供給するこのユニークなシステムは、いわば "電波を出さないキーステーション"の役割を果たしているとも言えるでしょう。
そもそも「火曜会」の名前の由来は、1952(昭和27)年に発足した「火曜クラブ」に遡ります。 1951年に初の民放ラジオ局が開局した翌年、比較的開局の早かった東北放送、北日本放送、秋田放送、北陸放送、RKB毎日放送などの支社長たちが、個人的な情報交換の場として火曜日ごとに顔を合わせる「火曜クラブ」を結成しました。当時は開局したての熱気もみなぎる一方で、経営の見通しすらたたない状況もあったため、できるだけ経費を切りつめ、質の良い番組を自分たちの手で作ろうということになったのです。
1952年の春には、早くも年末年始特番の制作がスタートし、1953年には各局持ち回りで制作する『録音風物誌』が誕生しました。わずか10分の中に、地方の風物を音で切り取り、聞かせるこの番組は、現在も続く"ラジオの原点"とも言える番組です。
1957年には会の名称も現在の「火曜会」へと変更され、1958年には第1回の『録音風物誌』コンクールが、亀井勝一郎、岡本太郎、戸塚文子の各氏を審査員にして実施されました。
2007年には火曜会50周年記念誌『日本列島 音に綴って五十年 火曜会 録音風物誌のあゆみ』を制作し、加盟各局を始め業界著名人に寄稿いただき、火曜会そして録音風物誌の歴史を紡ぐ集大成となりました。
そして50周年記念番組として加盟各社から企画を公募し、25社65案の中から南海放送制作『チンチン電車~ラジオ物語』を番組化しました。
火曜会は番組制作だけでなく、制作担当者への研修にも力を入れています。毎年「ラジオ研修会」を開催し、ラジオ業界内外で活躍する方々を講師に、番組企画制作の実践に役立つ講義や、制作現場の見学などを行っています。
この研修会には、毎年全国各地の本社から20~30名程度のディレクター、アナウンサーなどが参加しますが、個々の自己研鑚のみでなく、他社の参加者との情報交換や交流がはかられる貴重な場となっています。
→ラジオ研修会
また、各局持ち回りで制作している『録音風物誌』では、毎年作品を審査し、優秀作品を表彰しており、ディレクターの制作技術と意欲の向上に役立てています。
→録音風物誌 番組コンクール
このように、活発な活動を行っている火曜会ですが、ラジオを取り巻く環境の変化とともに、さまざまな課題に直面しています。
昨今、地道に地方色や音にこだわる番組は、以前のように各局に編成してもらいにくくなっています。火曜会では1990年に「営業委員会」を設置し、番組スポンサーの獲得にも力を入れるようになりました。
パソコンやスマートフォンで聴けるラジオ「radiko」が全国区に広がるなどAMラジオも大きな変革の波にさらされていますが、火曜会としては、今後とも地方の息吹を全国に伝える番組を提供し続けていきたいと考えています。